徒然なるままにKeep

一橋大学に在籍していた男のブログ。勉学、教育、日常、おすすめサービスなど、幅広く書いていきます。

あれだけ努力したのに、なんで失敗したの……。

はじめに言っておこう。

努力することそれ自体に何の意味もないと。

 冒頭から辛辣にいきました、どうも。

夏休みは、特に受験を控える高校3年生にとっては大事な時期だ。

塾の講習が入っていたり、親からも「勉強しなさい」なんて言われるだろう。

おそらく多くの受験生は、大学受験は人生を左右する一大イベントという認識を持っているだろうから、少なくとも意識のうえでは、勉強、努力しなければならないとわかっていることだろう。

 

ここで、そもそも努力とは何であろうか。

例えば毎日30分の勉強を考えよう。

一度も勉強したことがない人にとってはこれは努力といえるだろう。

しかし、学生時代毎日3時間勉強していた人にとってはこれは努力とは呼べないだろう。

ただし、「人生80年間毎日30分勉強しました」となったらどうであろう。

努力してるとも思えるのではないだろうか。

このように、努力に普遍的な指標は存在しないので、その個人が努力したと思えるものを「努力」とする。

 

さて、重要と言われる夏休みに「努力」したからと言って、残酷なことに結果が奮うとは限らない。

要因はいくつかあるが、

そもそも自分が努力だと思っていたものが、ほかの多数から見れば努力ではなかったパターン、

入試本番で緊張などから体調がすぐれず力を出し切れなかったパターンなどだ。

いずれにせよ、冒頭に述べたように、その「努力」は少なくとも現時点では無駄だったというほかない。

なぜ努力をするのかというと目的を達成するためだ。

この場合、大学に合格するために「努力」をしたはずだ。

であれば、合格できなかった今、その「努力」は意味をなさなかった、無駄であったというわけだ。

だが、そこまで深刻になる必要はない。

いつかその「努力」が意味を成す時が来るかもしれない。

一浪して再挑戦した結果合格できたのなら、その時に現役時の「努力」は意味を成しているだろうし、仕事でなにか役に立ったのであればその時意味を成す。

つまりは何かを成し遂げたとき、それまでの「努力」が意味を成すのである。

一番よくないのが、「努力」してきたのに失敗をして、そのまま不貞腐れ、何もしなくなるというパターンだ。

これは完全に「努力」が無駄になっている。

努力は無駄になるものではなく、無駄にしてしまうものなのだ。

なにか目標に向かって「努力」している人はこれを忘れないでほしい。